めぐみのはなし

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help リーダーに追加 RSS 芸術と真実

<<   作成日時 : 2008/05/26 17:50   >>

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突然、「解」が降りてきたので、メモとして。
芸術に関して私の考えを残しておきたく書きました。

小説も詩も演劇もヒューマニズムに基にしているものに魅力を
感じなくなった。かつて私はこのようなものを愛しており魅了されてきた。
何故、私は人間の作る芸術に興味を失くしたのだろうとたまに考えていた。
それは明らかに私の信仰の成長とともに失われたものだった。
神への信頼と関係性がこれらへの共感や期待を削いでいった。
それは何故なのか?

今日指揮者の小澤征爾の言葉を読んでふと分かった。

寂しさとか。日本語で悲しみというと、なんかお涙頂戴みたいになるけど、そうじゃなく
て、日本人だけじゃなくて人間の持っている本性、要するに、芸術が人間の生きているこ
ちに交わるとき、どこかにある寂しさとか悲しさ。なぜかというと、人間には必ず死ぬと
いう宿命がある。生まれた瞬間にだれかと別れなきゃいけないとか、会えば必ず別れとい
うものがあるとか、そういう寂しさもあるし悲しさもある。人間の情というもののなかに
必ず悲しみがあるとすると、音楽は、理屈なしに、それを出すのに一番手っ取り早いもの
を持ってたんじゃないか。(「同じ年に生まれて」)

私はイエスキリストを信じることにより、ここでいうところの悲しみと死を克服した。
私の死は十字架についた。
罪は十字架についた。
だから、私は人類の悲しみである死に縛られていない。
死に縛られないということは、神の約束を信じているということだ。
私は神の言葉を信じる者になったので、これら人間の悲しみと儚さに裏打ちされた
(つまり死に縛られた)芸術にもはや傾倒しないのだ。

人間的なところを頼みにするのを止めてから、見分ける力を受けるようになった。
芸術にしろ、あらゆる議論にしろ、人間にしろ、私は神に望みを置くものとして
人間中心の創造物に共感しないでもないが、深い傾倒はしない。
人間の思惟というものに、ある程度の距離を置くようになった。
無関係ではないが、意志を持って関係したくはないのだ。
人間の悲しさや空しさに根ざした芸術には真実がない。むしろ逆のものを多く含むことが多い。
私は神の言葉の中に生きることを決めた。私はそこに真実があると信じる。

ただ中には善に根ざし真実をはらんだものがあり
そういうものは今でも抱擁に値すると思う。
作品作りや評価において「人を生かすものを・・・」というのが自論だ。
今どれだけの作品が人を生かすだろうか。
生きているうちに一度でいいから神の真実に基づいた作品がつくりたい。


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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
以前、めぐみさんが教えてくれた事・・・
人に対して私が期待・希望・所有を持っていて持っていて
「彼」だけは裏切らないと言ってくれましたよね?

それは、私にとっての道を照らしてくれる光になりました。

死という概念は生きている以上は必ず付き纏いますよね?
それを避けて、背徳を美徳にすりかえられた物が現実として氾濫?
している事に対して私はケ嫌悪、もしくは憎悪の感情を
抱き始めました。

いい加減、お涙頂戴の文化にはうんざりしています。
それに対して正面から戦おうと思ったのが現在の仕事というか生活です。
その作業を終えて過去を葬る事で
早く次の段階に進みたいと最近はよく考えます。

でも、繋がっている大切な「関係性」と消えない記憶は「私の財産」です。
mitsu
2008/05/28 02:10
>人間的なところを頼みにするのを止めてから、見分ける力を受けるようになった。

これに対して私も同感です。野蛮なモノにしか感じられなくなりました。

>生きているうちに一度でいいから神の真実に基づいた作品がつくりたい。

これから、可能な限り努力してめぐみさんのお手伝いができれば幸いです。
mitsu
2008/05/28 02:10

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