めぐみのはなし

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<<   作成日時 : 2008/05/23 12:21   >>

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定期的に拝読しているあるクリスチャンの方のブログで
信仰詩を見つけ素晴らしいので載せちゃいます。

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”こたえられた祈り”
私は神に強さを求めた。何事かを成し遂げるために。
すると私は弱くされた。従うことを謙虚に学ぶようにと。

私は神に健康を求めた。もっと偉大な仕事をするために。
すると私には病が与えられた。恵み深い仕事をするようにと。

私は神に富を求めた。幸福になるために。
すると私は貧しくされた。知恵ある者となるようにと。

私は神に力を求めた。人々の称賛を得ようと。
すると私には弱さが与えられた。
自分には神が必要であると自覚するために。

私は神にあらゆるものを求めた。人生を楽しむために。
すると私には、いのちを与えられた。
あらゆるものを楽しむように。

求めたものは何一つ手に入らなかったが、望んだものはすべて
与えられた。

的外れの私の祈りにもかかわらず神はことばにならない私のほ
んとうの願いを聴いてくださった。

私はだれよりも豊かに祝福を受けている

(南北戦争時代の一兵士による)

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みなさん、読んで何を感じましたか?
とてもクリスチャンらしい詩ですよね。
この方の信仰の素晴らしさが窺えます。

罪の語源は的外れだといいます。
私は詩を読んで、私の祈りは神様の礎に立っているのか?
私は的外れな思いで祈ってはいないか?
そういう事を思いました。

また詩を読んで感動するのは、私達が自分中心を抜け出せず身勝手な祈りを捧げているとしても
恵み深い天の父なる神様は溢れるばかりに祈りに応えてくださるということです。
私達がいくら祈っても応えられないと思っている祈りがあったとしても
それが私達にどういう恵みをもたらしているのか、という視点に立つ時
何か違うものが見えてくるのかもしれません。
でも、これは神様への純粋な信仰がなければできないことですよね。

最近本当に心の隅々まで神様に見つめて頂き、心を整えて頂きたいと願っています。
自分の心の中のあらゆる罪の源を断って頂きたいです。

私達の心がどこを立脚地として、何を生み出すのかということを
思えば、祈りも心から出発するのですから、心をいつも神様への
喜び、愛、希望、で満たして頂きたいのです。
そこから、祈りが出発するという気がします。
心が自分の思いで満たされているうちは本当の祈りはできない気がします。

何でも祈ってもいいのよ、と聞いていて確かにそうなのだと思うのです。
でも、自分の思いではなく、神様とこころひとつになって祈るその祈りこそ
真実な祈りなんだと思えます。
神様とこころひとつになりたいな・・・。
そう思います。

祈りについて、又ひとつ思いを馳せることができ感謝です。

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内 容 ニックネーム/日時
セレモニー

だからこそ 狼狽してしまうほど酷い状態
彼等の頭には全く違うストーリーが浮かんでいるだろう
車輪が回るように状況がガラリと変わるなんて考えもしない
また向きが変わって今度は前に進む
彼女が望むのはぼくを抱きしめるほどの強さだけ
これもよくある話
噂としてすぐに広まってしまう

全部ぶち壊してしまえ慈悲の欠片もなかった
神は知っている今度はどうなるべきか
彼女を見る 口に出したこれらの事
彼女は泣く 彼女の心は立ち直れないほど
もろい 今は

彼らを打ち倒せ 慈悲の欠片もなかった
神は知っている 今度はどうなるべきか
木立の並ぶ通り
ぼくは絵を描いて 君はそこから目をそらす
それから永遠に見つづける
永遠に 愛が育っているのを見て
永遠に ぼくに教えてくれる
永遠に

***的外れでしたらごめんなさい***
mitsu
2008/05/28 02:26

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